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茶の間でおま。

本とかテレビとか宝塚とか。

米澤穂信「王とサーカス」(47)

11年前に書かれた「さよなら妖精」に続く作品。

 

王とサーカス

王とサーカス

 

ってわたし「さよなら妖精」を読んでいない\(^o^)/たいへん\(^o^)/

でもだいじょうぶでした。前作知らなくてもじゅうぶん楽しめた。恐らくこれが前作に関わるエピソードなんだろうなと思われる個所はあったけれども、無問題。 

とにかくわたしは外国が舞台の物語が苦手で(カタカナが苦手)それだけで尻込みしていたのですが、さすがのよねぽん、事件が起こると話は早かった。実際に起きたネパールのナラヤンヒティ王宮事件についてなにひとつ知らなかったことがショックでしたが。そもそもネパールという国をよく知らない。未だに謎が多いというその事件についても気になるけれど(おそらく高度な政治的陰謀が渦巻いていると思われる)(そして真相を知ったところでそれは「サーカスの虎」にすらなり得ないであろう)ここではなぜ彼は殺されたのか、誰に殺されたのか、どのようにして殺されたのかという謎解きがメインである中で「この国をサーカスにするつもりはないのだ」という言葉が印象的でした。きっとよねぽんが言いたかったのもこれだとおもう。娯楽としてエンタテイメントとして世界中で起きてる出来事を傍観するわたしたちの姿をつきつけられた。それは作中にあるアメリカ人の「面白くなってきたのに・・・近すぎる!」という言葉がすべてを象徴している。わたしたちはテレビの向こう側で、自分たちと関わりのないところで起きた様々な事件を享受する。当事者のきもちとは。

目の前に格好の餌を撒かれながらもそれに飛びつかなかった彼女の勝利であった。何人もの人が同じ出来事を伝えると言うことは完成形に近づけるということであってそれは自分がどういう世界で生きているのかという認識が完成されるということだ。