茶の間でおま。

本とかテレビとかすきなものたち。

辻村深月「朝が来る」(17)

不妊の夫婦が中学生の産んだ赤ん坊を養子に迎える話。 

朝が来る

朝が来る

 

産まざるを得ない状況になった中学生がもどかしくも苛立たしくて許容できなかった。厨二なのはわかる。自分は人と違う、晩生で垢ぬけないダサい子たちの一歩も二歩も先の世界を知ってると悦に入って酔いしれた結果がこれか。なんとみっともなく情けない。でもそのみっともなく情けないことを、周りの人間が教えてこなかったことが一番の罪。だって彼らは知らないのだから。なんとなく年月の経過によって得る知識は危険だ。無知は危険。セックスをすれば子供ができるというのは知っていても、初潮が来る前にセックスを続けていれば一度も生理がこないままに妊娠する可能性があるということ。妊娠してもすぐにはおなかが大きくならないこと。中絶が不可能になる6ヵ月を過ぎてしまっても本人が妊娠に気づかないことがあるということ。ちゃんと教えなければならないと憂鬱になる。大人からしてみればどうしてそんな馬鹿なことをっておもうことでも、幼くて未熟な彼らにしてみればいきがってせいいっぱい背伸びしてるだけなのだろうけど、その結果がどうやったって幸せをもたらさないであろうことは大人にしか見えないことなんだろうか。

彼女の場合も、自分勝手な親に育てられたことは不幸だったかもしれないけれど、でも親だって人間なんだから、親だからと言って世の中の親がみんな聖人君子なわけではない。機嫌によって言動にムラがあるし、冷静になれなくて感情のままに行動することだってある。子供は親に何を求めてるのか。なんにもわかってくれない、ってキレるのはわかるけど、そんな親子関係で躓いていてはその先の人間関係でうまくやっていけるはずがないのである。いつか血のつながらない人間と関係を築いていくための予行演習が家族なんだって「探偵の探偵」で須磨社長が言ってた。蓋し名言。同じ親に育てられた姉のほうは、いわゆる「普通の子」としてしかるべき時期にちゃんと花開いた。早熟は不幸だ。歯が生えるのだって遅いほうがいい。初潮なんてハタチすぎるまでこなくたっていいとおもってる。それなのに人間はますます早熟になって、10歳やそこらで初潮が始まってしまう。リスクが増えるだけなのに。これは進化なのかと。