茶の間でおま。

本とかテレビとかすきなものたち。

湊かなえ「ポイズンドーター・ホーリーマザー」(28)

おもっしょかったー! 

ポイズンドーター・ホーリーマザー

ポイズンドーター・ホーリーマザー

 

帯にある「原点回帰」という言葉の通り、みんなのだいすきなイヤミスの女王が帰ってきたでぇ!って快哉を叫びました。

子を縛り付ける親と、それに従わざるを得なかった子たちの末路。支配からは歪みしか生まれない。もちろん、子を正しい道へと導くことは親としてだいじな務めだとおもうけど、子は親の所有物ではないのだと肝に銘じなくてはいけないと自戒を込めて。

わたしは放任主義の親の元すくすくと育ったのですが()こうやってまっとうに生きてるので()それを見習いたいとはおもうし抑圧するのよくないってわかってるんだけど、いかんせんうちのバカ息子はほんとに手綱を締めておかんとえらいことになるアレなので、そのあたりが難しい・・・でもアレなわりには自他ともに認める立派なマザコンに育ったのでよしとします。

タイトルになった最後の二編は読後はてなが浮かんできてどうにも腑に落ちなかったんですけど、これはお互い理解が足りなかったということなんでしょうか。わたしは娘のほうに肩入れしてしまう。たとえば子供のために名作シリーズを新しく揃えてそれに手をつけずにいて、それを読めと勧め、それならばお勧めはどれなのかと問われてちゃんと答えられないのはどうかと思う。親が、自分のコンプレックスを子に反映させるのが一番よくないんじゃないかな。自分に学歴がなくて苦労したから子供にはいい大学に行かせようとか、自分が男で苦労したから娘にはちゃんとした男を選んでほしいとか。それはもう完全な押し付けだとおもう。別に高卒でもいいとおもう。世の中には勉強が嫌いな子だっている(うちのバカ息子だ)嫌いな子に嫌いなことを強制するのはいくらよかれと思って言うことであっても苦痛でしかないだろうから。それなら、学歴がなくてもちゃんと生活できる力を身に着けさせてあげることのほうが重要な気がする。例えば体力をつけさせるとか、人間関係をうまく築いていける方法を教えるだとかだ。やっぱり子は親の背中を見て育つというのはほんとうだとおもうし。子供に本を読ませたければ自分が読んでる姿を見せるのが一番だと思ってる。それでも読もうとしないのなら、その子にはその適正がないということだから諦めたほうがいい(うちのバカ息子だ)本を読むことが日常である環境とすぐに読める本がある環境さえあれば、読む子は読むし読まない子はなにがあっても絶対に読まない(うちのバカむs(ry

本を読まなくても勉強ができなくても、それ以外に得意なことがあればそれをだいじにしてやればそれでいいとおもう。

あとうちのママのカレーは野菜が大きくて硬いからというエピソードに対して忙しくて煮込む暇がないからだろうと擁護してるのがどうにもこうにも我慢ならなかった。時間がなくて煮込めないなら野菜を小さく切ればいいんじゃね!?なんならミキサーにかけてドロドロにすればいいんじゃね!?つか圧力鍋使ったら一瞬だろうがよーーー(おちついて