茶の間でおま。

本とかテレビとかすきなものたち。

「クレシダ」

平幹二朗さん生前最後の舞台映像。

あっちゃん出演作品をNHKBSプレミアムでオンエアされたものを録画視聴。

とうのたった少年俳優という歪さ。成長した少年は「女」ではいられなくなる。少年の恋はなかったことにされ、女でなくなった少年は自分に恋した少年に似た少女と結婚する。

背も高く声も低く、それでも背筋を伸ばしてツンと顎を上げてすまして舞台に立つあっちゃんは確かに「女」だった。白いタイツに包まれたふくらはぎと、スクエアカットの下着の胸元とコルセットを巻いた腰がRを描くシルエットはどこから見ても高慢な「女」だった。腕を組んだり腰に手を当てたりしてうんざりした表情をするあっちゃんは確かに舞台に君臨する傲然な女王様で迫りくる凋落の足音に気付かないふりをする愚かな支配者だった。彼の支配する空間はあっという間に新参者に奪われ、最初は余裕たっぷりに彼に微笑んで、その美しさを自信たっぷりに見せつけ、彼が自分に恋し敬愛し崇拝することを十二分に知りながら無視し続け、そして足元をすくわれて己の愚かさを呪う。彼の美しかった憧れはやがて髭を生やし現実となる。見下し蔑んでいた存在が自分の脅威になったとわかった瞬間のあっちゃんの衝撃と哀しみ。ひたすら気づかないふりをしていただけで、その時は確実にだれにでも訪れるもので、その点において神は平等だった。彼も彼も彼も。かつてはみな美しい少年俳優だった。かつて自分は美しかった。その思い出にすがりながら、次々に現れる美しい存在にひっそりとあきらめのため息をつく。そしてたくさんのことを諦めながら現実を受け入れていく。なんて刹那を生きるいきものなんだろう。

あっちゃんは決していわゆる美形ではないけれども、その姿かたちと振る舞いが盛りを過ぎようとするうつくしさを絶妙に表現していて、その花が散る瞬間を息をひそめてみつめているかのような緊張を孕んでいた。とっても美しかった。年を重ねることよって失われていく少年性のうつくしさを厚いお化粧でごまかそうとし、それを彼によって指摘されることによってまたひとつたいせつなものを失う。そうやってひとつひとつ失っていくことによって、あっちゃんは大人の「男」へと脱皮した。そして彼の恋は、終わった。

平さんと浅利くんのクレシダのお芝居のお稽古の場面は圧巻でした。平さんが82歳ということにもビックリしました。その明瞭なセリフ回しと、そしてさすがと思わせられるお芝居の熱量。新旧クレシダのぶつかり稽古はそこで展開されるクラシックなお芝居とそれを見つめる浅利くんの表情がとても神聖な風景で心がふるえました。感動した。歌ったり踊ったりしないお芝居を観たいと、強く欲しました。たぶん、わたし、今、タカラヅカにちょっと疲れてる。

プロローグとエピローグの場面が狙ったわけじゃないのに平さんをお見送りするような場面に図らずもなっていたことに、また胸がいっぱいになりました。これが最後の舞台だったということの奇跡。舞台のかみさまはきっといる。

碓井将太くんは懐かしのDステ「ヴェニスの商人」で衝撃を受けた役者さんで(同時に雷に打たれたのが足立理くん)(若い役者さんたちのオールメールはとてもよいとおもう)(また観たい)ポーシャの熱演を彷彿とさせる設定に懐かしさでむねがいっぱいになりました。

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