茶の間でおま。

本とかテレビとかすきなものたち。

シャンタル・トマ「王妃に別れをつげて」(26)

映画の原作本読みました。 

1810年に65歳の誕生日を迎えたっていう設定のシドニー(つまり革命勃発時は44歳)を、うら若き乙女に変更した映画はすごい。というのが感想なんですけど、映画ではわかりづらかったバスティーユ陥落の翌日の夜の宮廷の大混乱が文章で読むことによって整理された感じではありました。慣習と秩序が乱されてお貴族さまと平民たちがそれまでは許されていなかったであろう事柄がおざなりにされて境界が曖昧になって、そのせいでおかしくなった距離感は確かに混乱の極みだったのだとわかる。

映画の感想でわたしは王妃は彼女の恋心を知っていてあの最後のキスはそれに対する慈悲だったのだと思ったんだけど、そうではなくて緑のドレスを着た彼女は夫人の形代でしかなく、愛人だと言われて王妃の寵愛を一身に受けた夫人とはもしかしたら肉体関係どころかキスすらしたこともなく、ただ手をつないで頬を寄せ合うのがせいいっぱいの関係だったんじゃないか、だから王妃のあの彼女へのキスは、王妃が果たせなかった夫人への夢だったんじゃないかという意見を聞いてそのほうが切ない・・・!

王妃が突然女の人を心から好きになったことはあるかと彼女に尋ねる場面や、彼女がにっくき恋敵の夫人の部屋に寝込みを襲ってその裸体をまじまじと見つめるというどこか突拍子もなくそれでも鮮烈な印象を残す場面というのが映画のオリジナルで、彼女の片思いがどこまでも一方的であってそれは恋というものではなくむしろ妄執的ななにか、ではなかったのかと思わされた小説だった。

「陛下を見捨てるようなことを、私にさせないでください」

「もう遅いわ」王妃は穏やかに言う。「あなたはもう、わたくしを見捨てたのですよ」

愛する人を守るために逃げなさいと言った王妃と、その言葉を想定していてすでにすべての準備を整えていた夫人。それを知った王妃の絶望。つらい。「一時的な別れ(オ・ルヴォワール)と決定的な別離(アディユー)の違い」というフレーズ。

シャルロット・コルデーがマラーに似ていたように(マラーはフランス革命の中心的人物、山岳派ジロンド派シャルロット・コルデーは(略)入浴中の彼を暗殺した)

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あのサン=ジェルマン伯爵、王国の金庫のために頼みさえすればいくらでも必要なだけダイアモンドを出した偉い貴族・・・(略)伯爵は、食事なんかしなくても平気な魔法使いだったからな。(略)伯爵みたいに何世紀も生きてりゃな。いったい何世紀生きたんだっけ?

馴染みのある名前が出てくるのは当然なんだけどやっぱりヅカ的フランス革命課程を受けてると楽しい名前たち。瑠璃色千秋楽おめでとうございます!

グリーンはわたくしのいちばん好きな色、と言う王妃に全わたしが歓喜したことも記録しておこうとおもいます。