茶の間でおま。

本とかテレビとかすきなものたち。

「青い鳥」

2008年公開の太賀出演作品を、BSプレミアムでオンエアされたものを録画視聴。*1

吃音の教師という設定のせいか言葉が少なくて、いろんなことが詳しく説明されないままに終わってしまうので、そのことに想いを馳せるだけでもすごく時間がかかりました。たとえば村内先生の持ってたあの写真にうつってたうつむいて冴えない表情をしていた彼のこととか、井上派と梅田派の確執とか、まるで他人事のようにわたしたちは関係ないって言う女子の中にあったいじめとか、休職していた高橋先生は女性だったんだろか男性だったんだろうかとかそんなことまでが気になる。特に気になったのは、女子たちの態度で、男子たちのせいでクラス全体が迷惑こうむってまじ勘弁って感じで、でもその実木村さんのことを仲間はずれにしてたって太賀にバラされて、なのに最後村内先生が書き直したい人はもう一度反省文を、と言った時にも我関せずでさっさと自習を始めたというその他人事っぷりが怖かったです。当事者意識のない人たちの集団が怖い。

園部くんの自責も過剰だなとおもったけど、加害者意識の希薄な太賀の姿もきっと嘘じゃないんだろうな。忘れたかったのに、忘れるなんて卑怯だって先生が言うから。

いじめられた方は一生忘れないけど、いじめた方は反省したらそれでおしまいで平気でなかったことにして生きていける。忘れることは卑怯だ。

誰かを笑いものにして人間関係を保つというのは大人になってもあることで、笑いながらみんなが言えばそれは逃れることのできない呪いになって、笑いながら追い詰められていくしかなくて。笑いながら泣いてる人の言葉は、笑顔のせいできっと相手には正しく伝わらなくて、だからそこに齟齬が生まれる。

太賀はその齟齬にずっと気づかなくて、だってあいつ笑ってたじゃん、って言うその姿がかなしい。彼の中に悪いことをしてたっていう意識はない。だってあいつは笑ってたから。困らせることを言ってそこで笑いながら勘弁してよって言う姿を見てまたみんなで笑って、それはとっても楽しかったから。なんて残酷。彼の笑顔によって、もうやめて、っていう言葉そのものの意味は誰にも伝わってなかった。本気の言葉は本気で聞かなくちゃいけない、っていう言葉数のすくない先生が言うことの説得力。

「人を踏みにじって苦しめようと思ったり、苦しめてることに気づかず、苦しんでる声を聞こうとしないのがいじめなんだ」

「野口くんは忘れない。みんなのこと。恨むのか憎むのか許すのかわからないけど、一生ぜったい忘れない。みんなは一生忘れられないようなことを野口くんにしたんだ。だったらみんながそれを忘れるなんて卑怯だろ。野口くんのこと、忘れちゃだめだ。野口くんにしたこと、忘れちゃだめなんだ。それが責任だ。罪になってもならなくても、自分のしたことに責任を持たなくちゃだめなんだよ」

野口くんが生きててよかった。ほんとによかった。

よい太賀でした。伊藤歩ちゃんめっちゃすき。

*1:うちのレコがコレなもんで断捨離してます(ブルレイドライブが召された