茶の間でおま。

本とかテレビとか宝塚とか。

柚木麻子「デートクレンジング」(22)

また結婚したい女子の話なのかーとかおもったんですけど、まあ、そういう話なんですけど、でもところどころにグサグサと刺さることばがあって、けっこうしんどかったです。一番は終盤のアイドルと行くバスツアーのくだりだった。想像していた期待がことごとく裏切られていく様を見るのはしんどくて、思い当たることがありすぎて、既婚子持ちのわたしにはもう呪いなんてかかってないわって呑気に思ってたけど、それでもやっぱり何かしらの呪いには縛られてるんだよね。就活、婚活、妊活、終活、オタ活、いろんな活動に追われて焦りを感じることから解放されよう。そういうお話だったとおもうけど、今のわたしにとっては最終フェーズに入ってるオタ活がきっとそれ。わたしはウィーンにも如水会館にも行かない。行けないのはもちろんだけど、それよりももっとポジティブに「行かない」ことを選択してる。問題は直近のタカホだ。わたしとって今回のターンはもう終了したのだ。想いをのこすことなくとても満足のいく終わり方ができたと思ってる。そこに来て、また次のフェーズに進めと言われても、と二の足を踏んでしまう。茶の間として、未知の世界を知ることが出来るかもしれないというのはとても魅力的ではあるけれど。「ファン」であることを多分に拗らせたので疲れきってしまってると言ってもいい。*1バスツアーの途中で疲れ切ってしまった彼女のきもちが、痛切にこころに響いてしんどかった。わたしにはきっともう煌めく星たちは見えない。夜空に輝く月は見えない。タカホに行かないことを後悔するだろうか、という恐れを天秤にかけて、まだ、鬱陶しくみっともなく、迷ってる。行かない後悔よりも行った後悔とは言うけれど。その日のためにと往生際悪く伸ばしてる爪を、まだ切れないでいる。でもこれは呪いじゃないし、疎ましいものでもない。わたしが自らすすんで入った美しく素晴らしい世界だ。そこでのわたしは異端ではあるけれど。あれ、なんの話だっけ。

自分はずっと見ているだけの人間だと思っていた。でも、一人の女の子をずっと見つめ続けるということは、そのなにもかもを許すことを意味する。許すのには、体力も気力も知力も使う。(中略)彼女の弱さや痛みやずるさを目の当たりにしたり、たくさんのお金を使ったり、そして最終的にこの地までやってきた。日常で満足していたら決してなし得なかっただろう、めまぐるしい大冒険を経てきたのだ。

「許す」という言葉に違和感。許す、なんだろうか。わたしは許せなかったんだろうか。だから最終的なその「地」にたどり着けないんだろうか。その「地」はウィーンか如水会館かタカホか。それとももっと別の場所なのか。大冒険をしてきた自負はある。とても楽しかった。心躍るアドベンチャーだった。わたしのたどり着いた場所はウィーンでも如水会館でもタカホでもなかったけど、それでも満ち足りたきもちでしあわせだ。ほかのひとがたどり着く場所なんてどうでもいい。わたしはわたしのたどり着いた場所でただひとり勝鬨を上げて、そして背負ってきた荷物を下ろし、たくさんの思い出を武勲にするのだ。*2

*1:わたしは彼女にとって「ファン」ではなかった。という拗れに拗れた想い出はまた別の機会に。笑って晒すにはちょっと早すぎる。

*2:でもまだ迷ってる。