茶の間でおま。

本とかテレビとか宝塚とか。

「書く女」

NHKBSプレミアムでオンエアされたあっちゃん出演作品をみましたー。

初めて知る樋口一葉の半生はとても興味深かった。

舞台では最初に小説の師と仰いだ半井桃水との恋が主軸となって描かれていたけれど、さてその恋はほんとうに存在したのか、根拠となるのは一葉の残した日記の記述で、その日記もすべてそろっているわけでなく空白の期間が多くあったりして、すべてが明るみになってるわけではない。一葉の死後に発表されたこの日記によって世間は彼女と桃水の恋をひたすら邪推し、彼女をとりまいていた青年文士たちもまたそれをこぞって取沙汰したけれど結局真相は闇の中。当事者である桃水は致し方なく申し開きをするけれど、その中では否定も肯定もせず、一葉は自分との出会いもまた己の作家としての技術を磨く材料としていたのだなとおもった、という感想だけであった。全集に収められている馬場孤蝶の文章では、一葉の作品からして彼女は終生処女であったからきっとそんな事実はなかっただろう、もしそういう激しい恋愛が実際あったとしたら一葉の作品はもっとおもしろくなっていただろう(意訳)と書かれててだいぶひどいこと言うてるなwwwってわらったんですけど、彼は一葉に恋焦がれていたようなのでそれも含めて可愛らしい反応であるなあという感想です。べつに一葉と桃水の関係を否定したいわけじゃないし、って言い訳してるのも尚おもしろし。

日記の中でも名文と謳われるあの雪の日の場面*1は、恋した一葉が少しも寒くないわと雪の中を浮かれて歩き、そうだこれを小説にしようと思い立つ「この日が一葉の生涯でいちばんいい日だった」*2若いうちに青春を終わらせてしまった彼女の切なさが胸をうつ。会いたい、会いたい、会いたいと想いを募らせ、行かないでください、あと30分、あと20分、15分でもいいですから、と引き留める声を振り払うことの切ないことよ。思わず駆け寄り、差し伸ばされた手に手を重ねようとし、すんでのところで手を引っ込める。生きるとはこんなものだ。恋を諦め生活のために筆を走らせる。遅筆を母に詰られながらも「ただ一度で読み捨てられるものならば書くものか。わたしは千年ののちまで生き続ける魂を書こうというのだ」という矜持を持つ。貧困にあえぎながらも捨てないプライド。物語の最後、桃水は小説の師にはなりえなかった残念ながらと嘯く一葉が、もし恋があったのならばそれはどこに消えてしまったのでしょう、ああわたしの小説の中にだわ、と気づく。あなたと恋をしなければわたしは恋の小説を書けなかった。厭う恋のなれの果て。おお。そして墨をすりながら、さて次はなにを書こうかと思案する幕切れは感動的だった。死を前にして尚その恋心は絶えることはないのだ・・・!

さてあっちゃんの平田禿木です。龍子の紹介で「都の花」に掲載された作品を読んで彼女を見出し、そして自分が同人として参加している「文学界」への参加を乞う。彼女の才能に惹かれ同人たちを彼女に紹介し、彼女の家に集う。最初の男だという自負があったんだろうに、後から登場するイケメン文士ズに嫉妬をし、そして一葉に邪険にされて疎まれる。かわいそう。それでも一葉と文学の世界をつないだのはまぎれもなくあっちゃんであって、そのことに感謝する一葉の言葉にむくわれてる。よかった。無頓着な様子がその髪型にあらわれていてwわがままヘアーが炸裂してました。手がつけられない!出てくるひとたちがみな上背があり、いつも背が高いなーとおもってたあっちゃんがそうでもなかったことが新鮮でした。あっちゃんがノッポじゃない!

龍子がまたいい。威勢のいい気風がきもちいい。龍子登場の場面ではまるで現代の清少納言のようで、と一葉は龍子を称し、じゃああなたは紫式部?と返すけど、後半では一葉は紫式部を恵まれた環境の中でぬくぬくと文を連ねるだけの作家だと評して自分は清少納言たりたいと言う。「わたし紫式部になんてなりたくない。清少納言の方がすきよ」清少納言を女としてあげつらうのは間違っている。男でも女でもない存在。わたしは女なのだから言いたいことを言っちゃだめだ。どんな想いがあろうとも実現できるとおもっちゃだめだ。「裏紫」の不道徳さを責められ、女の道徳をどうか守っておくれと友人たちに諭され、自分に言い聞かせる一葉の姿がなんと切ない・・・!物語の最後に登場する斎藤緑雨は、一葉の作品は熱涙ではなく冷笑をもって書いたと言う。熱い涙を流した後の冷ややかな笑い。あなたはもう泣かない。死の直前に緑雨と対峙した一葉は、彼によってそのたくらみを暴かれる。「裏紫」の失敗を教訓に、道徳への反逆、男への反逆はあからさまにしてはいけない、もっとうまくやならければ。あからさまには戦うな、でも男のやっていることはみんなやれ。そう女にささやいているのだと見抜かれる。いつまでこの方法で戦えるかな。

女性が生きていくためには結婚するか妾になるか遊女になるかしない時代に、はからずも戸主となった一葉が職業作家になるためにいろんなことを想い、諦めてきたことが描かれていた。女性作家であることでちやほやされながらも、それは自分が女であってもの珍しいだけの一時のブームにすぎないのだと冷静に俯瞰していた。わたしを尋ねる多くの者はただわたしが女だということをおもしろがり珍しがっているだけです。だからわたしの作品に傷があっても見えないばかりか、良いところさえ言いあらわせない。そう言って彼女を暴こうといきがる緑雨に、存分にやってごらんなさいと嘯くのだ。カッコいい。

世の中の動きも知らず蝶よ花よと風流を気取ってなんになるの。痛烈な風刺。日清戦争と絡んで桃水の立場が変化していくのと、母親に象徴される世の中の声と、口ばかり勇ましい文壇の人たち。戦争が及ぼした影響。この時代の背景や文化は馴染みが薄くてまるでピンと来なくて、分かりやすい男尊女卑や家父長制度や身分による明らかな貧富の差等もなんとなくはわかるけど、時代錯誤だと笑いつつも100年以上たった今でも変わらない事柄もあってうすら寒くなる。

即興だというピアノだけの音楽も効果的で刺激的だった。とてもおもしろかった。

 

参考文献

森まゆみ「一葉の季節」岩波新書

木谷喜美枝「樋口一葉と十三人の男たち」青春出版社

明治文学全集「樋口一葉集」筑摩書房

原典を読まねばと全集に挑戦したのですが、句読点のない文章に息継ぎがじょうずにできなくて、一編を読むのに何度も呼吸困難になりました。まず「闇桜」と「雪の日」を読んだ。あとは「われから」が気になる。

 

(自分メモ)

・「厭う恋こそ恋の奥成けれ(厭わしい恋こそが恋の極致だ)」

・事実関係があってもなくても世間はあったというでしょう?そちらのほうが重要です。それはお町が女だから?お町の夫は浮気をしている。しかしこれは責められず、政治家としての地位もゆるぎない。ところが妻のお町の方は噂だけで責められる。あなたはこのことが重要だと思っているのですね。さあ? 

・夫の成長への不安。夫は外の世界を知って成長するが、自分は家の中にいてただぼんやりと過ごすばかり。ついには飽きられてしまうのではないか。女の新しい不安。貧しい女が身を売ったり、意に染まぬ運命を強いられたりする苦労ではない。裕福な妻が心に抱く闇のようなもの。裕福になってさえ、女は決して幸せになれぬのだ。あなたはそう言いたいのだ。

・本当に追い出されたのは誰なんです?居直った妻に怖気づいた夫が出て行ったのでは。妻は最後に勝利した。それを暗示したのでは。 

・あなたに恋をしたのなら、それはどこに消えたのでしょう。作品の中にだわ。わたしはあなたを想う気持ちを小説の中に使い果たしてしまったんです。これが厭う恋の果てだったんだわ。苦しみの果てに残るもの。捨てて捨てて捨てて、捨て去ったのちに尚残るもの。あなたに出会わなければわたしに恋が書けたでしょうか。

*1:「吹かくる雪におもてもむけあたくて、頭巾の上に肩かけすつぽりとかぶりて折ふし目斗さし出すもをかし。種々の感情むねにせまりて、雪の日といふ小説一篇あまばやの腹稿なる」

*2:森まゆみ「一葉の四季」岩波新書2001年