茶の間でおま。

本とかテレビとかすきなものたち。

岡部えつ「嘘を愛する女」(4)

映画を補完する意味でノベライズを読むのは好きなんですけど、これはどうやらノベライズではない?映画「嘘を愛する女」の小説版、とは????

「もうひとつのラストに涙する」ってコピーがついてますけど、なるほど映画とは違う設定がいくつもあって、すこし、混乱する。たとえば万里子の亡くなり方とか。たとえばきっちゃんが小説の中では携帯電話を持っていることとか。小説では桔平の心情がたっぷり語られているので、広島でのあの事件がどういうものであって、どうやって桔平が東京にやってきたのか、そしてあの日、待ち合わせの日、桔平は約束を守ろうとしたのかそうじゃないのか。この小説の中ではそれが正解とされてるんだろうけど、映画でもそうなのかなぁ。ここまで設定が違ってくるとべつもののような気がする。19時の待ち合わせに、間に合わせようとしなかった。それが正解な気がするんだけどな。

でも広島の事件から逃げてきた桔平の卑怯さがさらに浮彫となって、未だ逃げ続けてることと、彼の両親や万里子の両親が彼同様に、もしかしたらすべてを捨てた彼以上にもっと苦しんでるんじゃないかって想像すると、勝手に逃げた彼の行動はほんとうに卑怯だ。自分だけが傷ついてるような顔をして。夫が忙しいことを理解して、ずっと一人で待ってた万里子のくるしみが、わたしには痛いほどわかってしまうから、だから逮捕された万里子にも会いに行かず、裁判にも出ず、離婚届と少しばかりのお金を送ってなにもかもリセットしたような気になってる桔平が、わたしにはどうしてもゆるせない。由香利にすべてを話して赦しを乞うのもいいけど、そのまえにあなたがしなければならないことがあるはず。万里子にあやまれ。今すぐあやまれ。きっと彼女はまだ待ってる。夫に会いたくて待ってる。

桔平のマメさと公平の夫像がまるで別人すぎて、人はこんなにも変われるのかとおもうと同時に、その優しさや思いやりを少しでも万里子にあげられていたらっておもう。でもきっとそれは万里子をさんざん傷つけた後に学んだことなんだろうなっておもうとほんとに万里子がかわいそうで切ない。

そう思うと、万里子がゾッとするような笑みを浮かべて一瞬にして命を落とした映画版は、まだ救いがあったような気がする。ひとがしぬことによってすくわれるなんて最低だけど。

文中で、桔平の書いた小説が私小説なのではなくて、由香利との未来を描いた物語なのだと由香利が気づく場面はないけど、チキンとトマトの煮込んだやつが答え。