茶の間でおま。

本とかテレビとかすきなものたち。

「僕たちの嘘と真実」

これが欅坂46の正式史書。という回答なのだと受け止めた。作品として世に出たからにはこれが歴史に残る公文書となり、後世いにしえのおたくたちが「むかし欅というグループがあってな」とつれづれに語られる本筋となるものになってしまうんだなって。目に見えるものが真実とは限らない。語られた言葉は嘘ではないだろうけど、意図的に語られなかった言葉たちがもつ別の風景があったことを、この歴史の目撃者としてわすれないでいたい。

欅坂46というグループが、平手がいなくちゃ成立しなかったところから脱却していく成長物語だったのだとおもう。でもその「俺の考えた最強の欅坂46物語」をみる中で、彼女の新規絵やコメントがとれなかったという事実から、誰が従容としておまえたちの物語になってやるものかというゆりなちゃんの強い意志を感じた(でんぱでんぱ

これは語られたことと語られなかったことが取捨選択された結果の映像であって、つくられた物語だということは肝に銘じておかなくちゃいけない。

印象的だったのは、物語のはじめの頃に出てきた目をキラキラさせてたゆりなちゃんから徐々に笑顔が消えていったこと。かなしかった。14歳の女の子らしい無邪気さと、夢と希望に満ち溢れたエネルギッシュな様子がまぶしかった。「セゾンまでは波はあったもののなんとかコミュニケーションはとれてたけど不協和音のころはもうぜんぜんだめだった。何を考えてるのかわかんなくなってた」主語無しで語られることばたちに胸を衝かれた。それはただの物語でしかないはずなのに、遠巻きにうかがうことしかできないという映像はダメージが大きかった。あまりにもたくさんの感情をうけとめすぎたのかな。イタコだと言われてたことをおもいだす。TAKAHIRO先生は「僕」は「背負い人」だと言ってた。身も心もボロボロな様子が痛々しかった。膝から流れる血。内出血してるのか真っ黒だった足のおやゆび。無理やりといっていい状態でステージに送り出される姿。それでもステージの上ではそんな舞台裏を微塵も感じさせないパフォーマンスを見せてくれて、そのギャップにまた胸がいたくなった。単独ライブとしては最後のステージになったという2019年東京ドームライブ最終日の「角を曲がる」で最後に見せたあの笑顔に嗚咽がとまらなくなった。でも待って。泣くのはおかしいんじゃない?わたしたちはこれまでずっと彼女のすべてをエンタメとして消費してきたのだ。消費者側が消費される人間を見て泣くなんてそんなバカな話ある?流す自分の涙に酔うの?目の前で傷つき苦しむ姿を見てかわいそうだねかわいそうだねって言いながら、その姿を要求するのがわたしだった。ううん、そんなことはない。わたしは要求なんてしなかった。わたしがゆりなちゃんを知った時にはもう彼女から笑顔は消えていて、いろんなことを揶揄されたり勝手にいろんなことを想像してしんぱいされたりかばわれたりしてた。本当のことなんて誰も知るはずなんてないのにみんな知った気になっていろんなことを言ってた。そんな場所なら捨ててしまえばいいのに。アイドルなんてやめてしまえばいいのに。そうおもってた。傷つきながらもどうしてその舞台に立ち続けるんだろうって不思議だった。どう見ても楽しくなさそうで、見てる側を不安にさせるようなステージングを見るたびに、何が彼女を縛り付けてるんだろうっておもった。契約とかお金とかそういう大人の事情なのかなって。だから、2017年の「不協和音」のパフォーマンスの後で倒れたというあの紅白の後、いったんグループから距離を置きたい、と言ったという事実を知ってものすごく腑に落ちた。彼女はそんなにも早くからグループから離れることを望んでいたんだって。それを全力で止めたのはメンバーたち。ゆりなちゃんのことを嫌って憎んでその悪意を向ける人たちに、ほら!!!!!!!ってすっごく言いたかった。ほら、ゆりなちゃんはやめたかったんじゃん、それを引き留めたのはあなたたちが推す人たちなんじゃん、って。自分ばかりが目立ってしまうことを気に病んでいたゆりなちゃん。自分がいなくちゃなにもできないグループであることがきっともどかしくて、だからグループから離れるための準備をしていったんじゃないかな。これはわたしだけに見えた物語だから、自分はそうじゃないとおもうって人はスルーしてほしいんだけど、自分がいなくてもちゃんとグループとして成立するように、そんな荒療治だったんじゃないかな。ゆりなちゃんがいると、結局みんな甘えちゃうから。だから「不在の状態」を強制的に作り出して、スパルタ的に鍛えていったんじゃないかな。完全に知らんがな、だけど。そして2回目の紅白での「不協和音」の後、彼女は帰り際のメンバー一人ひとりと話をして、もう一緒には出来ない、と伝えるのだ。一期生は薄々そんな気はしてたんだとおもう。二年前のあの時から。いつかいなくなっちゃうんだろうなって。でも二期生の中にはゆりなちゃんの言葉を聞いて目を真ん丸にして言葉を失う子もいた。ゆりなちゃんに抱きしめられて、どんな言葉をもらったんだろう。いいな。うらやましい。年が明けて、1月23日SOLのオンエアのある日、とうとうゆりなちゃんの想いはわたしたちにも伝えられた。ただ、欅を離れるというそれだけ。それ以上のことは今は言いたくないから言わない。ドキュメンタリでもこの言葉をもってかえられてた。そして今もまだなにも言ってもらえてない。

ほしがってしまうことをゆるしてほしいけど、いつか話せたらいいねって言ってるらしいので*1いい子でちゃんと待ってようとおもいます。 

それから、大人の責任とはという問いにTAKAHIRO先生が「点ではなく長い線で見ること」ってすっとぼけたことを言ってたことはゆるさない。きっとそういうことじゃないってわかってたはず。彼もまたインタビュアーにあなたはどう思いますかって問いかけていた。彼も含めてわたしたち大人はみんな、彼女を商品として完全に消費したのだ。そのことに対しての責任がないとは言わさないしわたしにだって消費者としての責任はあるとおもってるから。でも、おたくの子たちが、あの時の映像を見て、会場に響き渡る歓声が嫌がるゆりなちゃんを舞台に引きずり出したのだ、自分たちのせいだ、と己を責めてショックを受けてる姿を見ると、そうじゃない、きみたちは悪くない、絶対にって言ってあげたくなる。舞台に立つ姿を望むのは悪じゃない。それはファンとして正しい姿。だってわたしたちは舞台の上に立つ彼女たちしか知らないはずなんだから。目に見えるものが真実とは限らない。でも、わたしたちには目に見えるもの以外の何があるっていうの。ただ目の前にいる人たちをすきだとおもって応援する。それは正しい。ついた嘘は最後まで貫き通してほしい。秘すが花。だから、見えないものを見えた気になって勝手に決めつけるのはやめよう。ゆりなちゃんは欅坂46平手友梨奈をまっとうした。わたしたちファンが誇れるりっぱなアイドルだった。それでいい。それでいいよ。

あとは、ゆいぽん。わたしの想ってることはみんなとは違うっぽいからここでは言えないというゆいぽん。野心のある子はすき。それを隠さない子はもっとすき。一番つよいのはゆいぽんなんじゃないかな。「言えない」というゆいぽんの誠実さ。

みーちゃんのセゾンの話も印象深かった。セゾンのセンターに立とうとするも自信が持てなくて部屋の隅で蹲るみーちゃんに対して、TAKAHIRO先生は、比べるのは平手じゃなくて過去の自分って言ったのとてもよかった。対平手じゃなくて対自分。そんなみーちゃんが初めての選抜に漏れて泣き崩れていたのもむべなるかな、虹花ちゃんが怒ってたのもむべなるかな。虹花ちゃんの怒りに胸が熱くなった。幻となった選抜9thはゆりなちゃんのボイコットによって幻になった。*2なにもかもが悪い方向へと進んでいく悪夢のような出来事だったね。すべての歯車が狂ってしまったのだとわかる象徴的な出来事だった。

 ・平手の悩んでることはわたしたちよりもずっと先の次元のレベルのことで、たぶんわたしたちが悩んでるようなことは平手は悩まないとおもう。みーちゃんのことば。

・「みんなは今の欅がたのしいですか?」と問うゆりなちゃんの声がやさしすぎた。

・あかねんの、じぶんは平手のバックダンサーだという自覚があったという言葉の衝撃。でもそれは、センターに立つ子をよりよく見せようと、よりよく映えさせようとするセンターでない者の矜持。 

最初の公開予定は4/3で、それから半年も延期になって、映画の中身がどう変わったのか。オンラインライブの映像が加わったことによって切り取られたもの。たぶんもんちゃんのコメントとか。流れたもんちゃんの映像はとってもカッコよかった。代理センターのアンビバレントにしびれた!もんちゃんの言葉が聞きたかった。

 

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*1:2020年10月号ロキノン

*2:今度のアルバムで救済されるけど、撮影されたMVは世に出るんだろうか。