茶の間でおま。

本とかテレビとかすきなものたち。

「機動警察パトレイバー2 the Movie 4DX」

映画終わりにどうしても「二課の一番長い日」が見たくなってレンタル寄ってパト1とパト2とアーリーデイズ借りてきて見たのでまとめての感想。

4DXデビューでした。揺れる座席や銃撃戦での耳のあたりから出てくるプシュッていう空気とかに気を取られてなかなかストーリー入っていけなかったのでwはたしてパト2に4DXはふさわしかったのかと言われれば甚だ疑問で、でもガス騒ぎの時のガスの臭いとか静かに降る雪が4Dだったことには感動した。折しも雪の降る寒い日の鑑賞だったので、2/27が描かれたこの映画を見るのにふさわしい日だった。冬の映画。なるほど二二六事件か。既視感がまるでなくてわたしこの映画を当時見たっけかな...って過去ログ漁ってみたら、2009年にブルレイ見てて、その時にどうやら初見っぽいって言ってるからたぶんそう。わたしのパトレイバーブームはきっとローティーンで終わってたんじゃないかな。記憶が一切ないまま見たパト2だったけど、どこか既視感があって、わたしはこの世界を知っているけどでも知らない世界だ、ってなった。たぶんそれは「二課の一番長い日」の記憶。それはそうでパト2は「二課の一番長い日」の焼き直しだっていうのが共通認識としてある。同じ雪の降る寒い日の出来事で、自衛隊の有志がクーデターを企てる。そこに暗躍する後藤隊長下の特車二課。としのぶさん。これは三つ子の魂でわたしの中に刻まれてるセリフなんだけど*1それと似たような啖呵をこの映画の中でもしのぶさんは切っていて、でもその切れっぷりがいまひとつで、違う違うそうじゃない、って違和感にムズムズした。それにしてもしのぶさんは割とキレやすいよねwってだいぶおとなになった今おもうから、きっと島流しにあったのもあのことだけのせいじゃないよねという説得力があった。お歴々たちの中の紅一点という絵面は当時はきっとなんにも思わなかっただろうに、今はとってもうんざりする。四半世紀以上も前の風景と、今の風景がそう違っていないことに。近未来を描いたSFというスタンスなのに、その「近未来」がそこまで現実と違っていないことにビックリすると同時にうんざりするのはそういうところだ。なんにも変わっちゃいない。例えば「二課の長い一日」では甲斐後藤の師弟関係が軸になっていて、後藤さんは特に思い入れもなく(ように見える)甲斐を追い詰めるんだけど、パト2ではそれが柘植南雲になっていて、しのぶさんは彼を逮捕する時、彼と指を絡めるのだ。押井監督が望んだように「あなたを逮捕します」というセリフをもっと凛としたものにしたかったのならば、二人は指を絡めてはいけなかった。運河の船上で密会しようとした時、しのぶさんは銃を携行していたし、彼に銃口を突きつけた。でも引き金はひかなかった。情に引きずられたしのぶさんの姿は、ちょっと、ショックだったな。後藤さんが潔かっただけになおさら。そこでの男女差が醜悪だ。後藤さんは甲斐との想い出に振り回されることはなかったのに、しのぶさんはいまだにその恋(恋?)の呪いに囚われたままだ。それは最後まで。これがパトレイバーの、特車二課の最期だなんてあんまりだ。当時はパト1でわたしのパトレイバーの世界は完結していてそれはそれで幸せだったのかもしれない。それでも当時はロスに苦しめられて、もう特車二課のみんなに会えないなんてってメソメソしていたのを覚えてる。2009年のログでも言うてるけど、押井さんはわたしのすきなものを木端微塵にしまくってパトレイバーとわたしの息の根を止めたよね。ようし上等だ、訣別だ。わたしはわたしのすきなものをないがしろにする人を許さない。 

後藤さんとしのぶさんの関係性と、野明と遊馬の関係性っていうのは似てるようで似てなくて、前者は絶対に発展しなくて後者はその可能性がある(若さの分?)という違いがあって、そしてそこに明確なエンディングがなかったことが尾を引く原因だったとおもうんですよ、ねえ、野明と遊馬ってどうなったの!?ハッキリとした関係性が示されないことに悶々とする中学生のわたしがかわいそう。ハイ、これでパトレイバーは終わりですって言われてもそんなので納得できるわけないじゃない??ねえ、野明と遊馬ってどうなったの!?それも自分が中年となった今は、良き余韻を持って楽しめるわけだから、年月というものはそういものも解決してくれるんだなってありがたいです。昔のわたしどうか成仏して。中年のおっさんとおばはん(ひどい)の複雑な心の機微とかそんなんわかるわけないやんという当時のわたしに、後藤さんのあの「しのぶさん」と呼ぶ声のトーンについて語り聞かせてやりたいです。一番すきなのは、出動命令に納得いかない後藤さんが駄々をこねるんだけど、しのぶさんにいいよもう知らないんだからって部屋を出て行かれて「気が変わった。いま変わった」って自分から折れるときに言う「しのぶさん」っていう声。しょうがないね、惚れた弱みだね。いつまでも一緒にいられるとおもってたのにそうではないとわかった時、このふたりがどうなってしまうのかとおもうと心は千々に乱れて夜しか眠れません。なんなら野明遊馬なんてもうどうでもいいです。たぶんあのふたりは部署が分かれてもきっとずっと一緒に遊んでる。あ、そっか、後藤さんもきっと特車二課解散しても、ちゃんとしのぶさんに連絡取るね。あ、しのぶさん?って電話するね。うん、見えたよ。見えた。よかった。終わったとおもって絶望したパトレイバーの世界が、きっと今も続いてるんだなってようやく思えた。よかったね、厨二だったわたし。おとなになれば救われることもあるんだよ。すきなものがずっとすきでとってもうれしい。 

パト2の感想なんだけど、一番グッと来たのは「パトレイバーがすきなだけの女の子でいたくないんだ」っていう野明のセリフ。これはパトレイバーがすきな女の子みんなへのセリフ。ちなみにわたしが観た回、女性客はわたしだけだった。当時も話をするのはクラスの男子だけだった。同じ話が出来る女子なんていなかった。それは今もそう。

ここで笑うのは思う壺みたいでいやなんだけど、「思ひ出のベイブリッジ」作曲編曲が川井憲次なのわらうしかなかった。惚れて惚れて泣いて泣いてwうぇーーーいwwwあと、整備班の人に軍用レイバー相手なら片目瞑ってよく狙って当てればそれで充分だよって言われた太田さんがじゃあ戦車が出てきたらどうするんだ!ってわめいてそれに対して彼が「そん時はもう片方も瞑るさ」って言い捨てていくのがめちゃくちゃすきなシーンです^^^^ 

日本はずっと戦争がない状態が続いていて、それが果たして「平和」な状態なのかとそういう問題を投げかけるべきは今もそうなのかもしれない。時代を経るごとにその時々でいろんなものを受け取ることができるのってすばらしいなっておもうから、また何年かたってからこの作品群を見て、何かを想うことができたらいいなっておもう。 

警察官である後藤さんのブレのなさ。なぜあんたは柘植の隣にいないんだ。柘植の隣にいないのはしのぶさんもそう。しのぶさんは警察官だから。でも彼を止めることができなかった自分をきっと彼女は許せなくて警察官だと認められなかったんだろう。だから辞めようと思った。柘植に手錠を嵌めたしのぶさんは、警察官を続けるんだろうか。彼女はまだ警察官なのだろうか。 

不正義の平和だろうと正義の戦争よりましだ。

単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和

ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる。いや、忘れた振りをし続ける。

  「二課の一番長い日」の鮮烈な印象が、わたしにとってもパトレイバーのすべてだなーて改めておもった。こうやって人生の折々でパトレイバーに触れて確認したい。

以下虫干しです。

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(左)NEWTYPE1990年12月号付録 (右)アニメージュ1990年7月号付録

カッコいいよね。

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(左)1990年くらいにアニメイトで買った下敷き。(右)今回もらった入場者特典のクリアファイル。

*1:「承服できません
包囲の外に上空にも報道陣が詰めかけております
全国民注視の中でどの様な情勢があるにせよ
ただの一発も反撃することなく
無抵抗で本庁舎を明け渡すような事があれば
それは警察が自らの手で敗北を認めた事になります
それこそ彼らの思う壺ではありませんか
国を守るべき者が国を乗っ取ろうとするに際し
これを打倒するは我々を措いて他に無く
今こそ全国民の期待は我々の双肩に掛かっているはずです
確たる証拠すら無く
否、確たる証拠があったにせよ彼らの恫喝を前に闘わずして膝を屈するなど言語道断
例え守備隊全員がこの場で果てようと一歩も引くわけにはまいりません」