茶の間でおま。

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「フェイクスピア」 NODA・MAP 第24回公演 - 野田地図

高橋一生くんの主演舞台観ましたー。

「から騒ぎ」のビアトリス以来ですね、おひさしぶりです。わたしたちずいぶん遠いところに来ちゃったよねってお互いのそれまでの来し方に想いを馳せてみたり。いやあ、すごいもん見た!!野田さんは初めてで、そもそも野田地図ってなに?という状態なので、終演後にみんなが(みんなではない)「ああ、野田だなー」って納得してたのぜんぜんわかんなくてなるほどこれが野田????っていろんなもん抱えたまま帰りました。イタコたちが実は目が見えないという事実が中盤明らかになるところではハッとして一気に世界が違ったものに見えてきたのがすごかった。なるほど「声」なんだな。言葉と声。イタコは声を聞くのだから姿なんてどうでもいい。聞こえる声が生きてる者の声なのか死者のそれなのか。それを聞き分けるのがイタコ。彼の姿は彼にしか見えていなかったという事実を知ってから、もう一度最初からお芝居が観たいとおもった。繰り返し出てくる「永遠プラス36年」という言葉の持つ意味。36年前に何があったのか。映画「罪の声」を見た時もおもったけど、自分の幼少時の重大な事故や事件というものをまるで覚えてなくて、そのことがショックなんだけど、今回もまるでピンとこなくて、彼が大事に抱えるあの箱が「ボイスレコーダー」だと判明したあたりでようやく分かる始末。お粗末。そういう自分にすごくがっかりする。「524人」とか「午後6時56分30秒」という数字が持つ意味を後になって知った。そこに絡んでくるシェイクスピアの世界と星の王子様の世界とイタコの世界。それらがうまくかみあわさっていたのかと言われるとぶっちゃけぜんっぜんわかんないんだけど、きっと野田さんの中ではちゃんと辻褄が合ってるんだろうなーというのはぼんやりわかった。それでも自殺を考えていた彼が最後に「生きる」と言ったシーンは感動的だったし、なにしろ「舞台」というナマモノを久しぶりに浴びることが出来て、ようやく息が出来るようになった気がした。何度も深呼吸した。やっぱりお芝居は劇場で観るに限るわ、ってあたりまえのことをあたりまえに思ってとっても満たされました。橋爪御大が80歳だって知って、うそやんってわらったwあとはあっちゃんがとってもよかった!声がよかった。活きのよさが絶品だった。「若い」という重要なファクタを担う存在だった。星の王子様は絵本の世界の住人だから「言葉」は持つけど「声」は持たない。だから彼の言葉はイタコには聞こえない。鳥と烏。聞く人が誰もいない「声」は「言葉」なのか。想いは「言葉」なのか。わたしは「言葉」だと思う。本当に大事なものは目に見えないって言葉にイタコたちが怒ってた。確かに。 

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八百屋舞台というには急勾配だったけど、そこを縦横無尽に駆けめぐる高橋一生くんの予想外に軽快な動きにビックリした!一番高いところでジャンプしてた。「動」のイメージがなかったから意外だった。背の高いひとだとおもったことはないのに、舞台ではとっても大きく見えた。アドリブだろうとおもわれる場面での笑ってる姿に逆に涙が出た。一連のセリフの中で声色を変えるのを聞いた時に、ああもうほんとそういうところだよねって逆ギレしそうになった。高橋一生くんの「お芝居」を共有できたことがしあわせだった。

・アンサンブルといわれるみなさんの「群れ」、かしましいカラスたち、誰もきづかないところで倒れていく樹々が印象的だった。

・まあでも大阪で「江ノ島海岸の弁当」ネタが通じるかはちょっと微妙なところだわよねー。二回も出てきたけど。

・橋爪御大が80歳とかうそだろーー(二回目

・セルフやまびこおもしろくてオペラ上げて凝視してわらったw

・トリエちゃんの「未来世紀シェイクスピア」を思い出した「to be or not to be」