茶の間でおま。

本とかテレビとかすきなものたち。

「Medicine メディスン」(兵庫県立芸術文化センター)

田中圭ちゃん主演舞台を観てきました。

彼と出会って15年(わたしの正史では「子育てプレイ」が出会い)ようやく動いてる彼を見ることが出来ました。長かった...実に長かった。すきになった役者の舞台はわりと軽率に見に行ってたとおもうんだけど、なぜ彼だけこんなに時間が空いてしまったのか。これもまた彼とわたしの運命なんだとおもうの(でんぱ)(きにしないで)映像仕事はまるで断らない・選ばないというイメージの強い彼が、舞台だけは一年に一本だけ厳選しているというスタンスが、役者としての彼の信頼につながっているのだとおもってたんだけど、今回のインタビューの中で、一年に一度の舞台は芝居のリハビリのようなもので、でももう今はそのリハビリは必要ではないかな(超意訳)と言われてるのを見て、また次の段階に移ったんだなとおもった。

そんな彼の今回のお芝居は、それはもう、圧巻でした。

舞台の上には4人だけ、セリフを発するのは3人だけ。1時間35分という上演時間に、短いな?と観る前は感じてたけど、十分だったし、ちょうどだった。見ている側も疲労困憊したのであれ以上長かったらきっといのちのきけんがあったとおもう。あぶない。

誠に圧巻。

精神病院の一室で行われるドラマセラピー。担当医の姿はなく、雇われた役者とドラム奏者が登場し、彼の気持ちを慮ることなく、時には無遠慮にないがしろにする様子に、ほんとうにこれはセラピーなんだろうかと疑問が過る。自分の過去を言葉にし、お芝居にすることで癒されるはずなのに、彼は恐慌に陥り、ただの役者でしかないはずの人間に注射を打たれる。これはほんとうにセラピーなんだろうか。何度も繰り返される「今日の調子はどうですか」という姿なき担当医の言葉。物語の終盤、それに応える彼の声は、彼のものではなかった。あれはいったい誰の声?答えていたのは誰?ここにいるのは誰?わたしが見ている彼は誰?

終演後、パンフレットのキャスト欄に「老人ジョン(声)」とあって鳥肌がが立った。あれは年を取った彼の声。もうここにどれだけいるのかわからなくなっていた彼は、老人だった。わたしたちの前に立っていた彼は、では、誰だったのか。彼が見せる幻影だったのか。彼が想像する若き自分の姿が投影されていたのか。メアリーたちの目には、彼はどのように映っていたのか。手をつないだ彼は、死にゆく老人だったのか。

自分の頭の中身が自分のものではないという感覚を抱え、誰の目からも逃れて生きたいと願う彼は、あそこから出てゆきたいと願っていたのか。おそらく何の治療も施されることなくただ収監されていた、それも長い時間を。かつて出会って会えなくなった少女は、ちゃんと病院を出ていくことができたのだろうか。

不条理なものを不条理なものとして受け止めるのがこの作家の正解なのだとはわかるから、メアリー2にだけ吹く暴風のことはあまり考えないでおく。このぞんざいな割には手間暇のかかった施設にかかる経費にも謎は深まるし、もしかしたらメアリー2と彼は初対面ではないのかもしれない。なんてことを今もつらつらと考えてしまう。

いいお芝居を見た。とてもよかった(と言ってメアリー2にぶちギレられたい)いや、いいもん観たな。わたしの初めての田中圭ちゃんがこの作品でよかった。次もたのむよ。