茶の間でおま。

本とかテレビとかすきなものたち。

鈴木輝一郎「死して残せよ虎の皮 浅井長政正伝」(25)

月組さんの観劇に備えてファンとしての役作りのために長政さまの伝記を読みました。

長いので感想たたみます。

 

長政正伝とうたいつつも物語の始まりは信長との出会いで、歴史の真っただ中にいた信長を中心に時代が描かれるのは仕方ないにしても、始まりから終わりまでこれは信長と長政の愛の物語であった。

嫁の兄との初対面の場面が衆道にはじまったことに目を疑いそして本を閉じました。まじか。この本で描かれてる長政さまが色白もち肌(とは書いてない)の巨漢で、対する信長が女性的と言われててその対照的な(あらゆる面で)ふたりがあれやこれやいたすのがほんとにもうかんべんしてくださいって土下座して泣くレベルでした。さらに追い打ちをかける設定が長政さまのちょうぜつりんりんまるっぷりとそれに負けない市のタフさとかいやまじでもうゆるしてください。兄妹ともに抱いてやった長政さまさいきょう・・・とか言うてる場合ではないのである。この一度肌を合わせたことによって信長は長政さまにかつてないほどの信頼を寄せるのである。それこそまさに愛。その愛を裏切られた信長の絶望の深さに瞑目しました。なぜそこまで信長が長政さまを愛したのかはよくわからなかったのだけど、その絶望だけは深く伝わってきて切なかった。長政さまに裏切られたことが、己の人生の最大の敗北であるとまで言うてる。対する長政さまの信長への屈託は、戦国の世において自分のほうが先に頭角を現し名を上げていたというのにあっさりとあとから来た信長に抜かされたことで天才を前にした凡才はただ己の凡庸さを痛感させられることと強いものへの純粋な憧れが相反するという複雑な感情をもてあましていたことに表れてた。

 

「人は信じるな。だが信じると決めたら徹底的に信じよ。それが人の運を開く道だ」

「で、その徹底的に信じた相手に裏切られたら、どうしたらよろしいんで」

「死ね」

ああ、切ない。

信長が長政を無二の友だと思う気持ちは誰にも負けない。

そう、二人は義理の兄弟という関係だけではなかったのだ、唯一無二の存在だったのだ。

信長の完全な敗北であった。いくさに、ではない。人を信じた自分に敗北したのだ。

お屋形様生きて。

信長が長政を信じるのに理由はなかった。それを愛と呼んでも構うまい。

愛に生きたお屋形様の絶望は深すぎた。

衆道の契りをかわし、無二の愛を誓った男から捨てられたことは

お屋形さまにとってそれは「捨てられた」のだったと。そう思ってずっと生きてきたのだなと思うと涙を禁じえず。長政正伝のはずなのに、後半はほぼお屋形様の視点から歴史が語られていて、可愛さ余って憎さ百倍なお屋形様のお気持ちは存分に伝わってきたのだけれども肝心の長政さまの心境が曖昧で、それでもお市と子どもらを逃がした際に交わされた妻との会話は渋々ではあるけれど納得のいくものだった。お市は長政さまの妻である前に母であったということ。それも、子が大きくなるまでのこと。十年お待ちください。そうすればあなたのもとへゆきますから。

長い信長との戦いは義昭が逃げたことによって勝敗が決まった。担ぐ神輿を間違えたことが敗因だけれども、間違えたことに早々に気づいていても、それでも担ぎ続けるしかなかった長政さまの口惜しさ。

最期の時の長政さまの言葉。

昨日よりも、今日はいい日であった。たとえそれが腹を切ったのちであっても、明日はたぶん今日よりずっといい日である。「人生最良の日、それは明日だ」

長政さまの覚悟に泣いた。たぶん戦国の世において長政さまは常に正しい選択をしてきた。規格外であった信長とこういうことになったのは、必然だった。ふたりは強烈に惹かれ合ったけれど、相容れないほどに正反対のふたりだった。その運命のいたずらが、こういう結果になったのだと思う。

長政さまとの戦いが終わった後の信長が、呑めない酒を飲んで二日酔いに苦しんで終わるこの物語が、わたしにとってのNOBUNAGAの世界だ。この物語に出会ってしまったのだからしょうがない。 

人を愛するな。人を信じるな。人に好かれるな。

と息子に説く信長と、

人を愛せ。人を信じよ。人に好かれよ。

と息子に説く長政さま。長政さまはさらに「その『人』とは自分も含む。そしてそれが一番難しい」と続ける。このふたりが戦国の世において、出会い、愛し合い、命を懸けて戦い、終生心にお互いの名を刻んだ人生なのだと。そういう物語なのだと。