島本さんこれまた自己紹介のような本を書きましたね・・・という感想。
第153回芥川賞候補作。
幼いころの性的虐待と守ってくれなかった母親、そのトラウマからろくな恋愛ができなくて、でもだらしのない肉体関係をあちこちで結んでそして傷つくというわたしの中の島本さんのテンプレ。たぶん彼女の抱えてる問題をこうやって時々文字にして昇華させないとだめなんだろうなとおもう。これはきっと心の叫び。嘘じゃないから痛いほどに突き刺さる。ヒリヒリする。そしてわたしはどこまでも健康な精神と健康な肉体を持っているなとおもう。
ついったで今作品についてキモは後半の教授のセリフだと言われてました。
もう一点だけ。『夏の裁断』でのラストの教授の介入について。 たしかに賛否分かれるところだと思いますが、もともと臨床心理学科であった主人公がそちらに救いを求めるのは、個人的には不自然な展開ではないと思います。 また性的な心的外傷は、お金や時間が許すなら、専門的な知識のある相手に
— 島本理生 (@rio_shimamoto) 2015, 8月 8
頼ったほうがいいという、私自身の考えもありました。 過去の積み重ねで何重にも混乱した主人公が自力で解決しようとしたら結論を間違える可能性が高い。また相手を好きなほど主観的になって傷つけあい、責められたといっそう口を閉ざすこともある。(その象徴としての猪俣君です)教授の後半の台詞は
— 島本理生 (@rio_shimamoto) 2015, 8月 8
『夏の裁断』の肝です。むしろ物語としては傷であっても、2人の「意味」に関する言及は本作で一番伝えたかった部分です。そして、その台詞が言える相手はやっぱり教授であったと思います。
— 島本理生 (@rio_shimamoto) 2015, 8月 8
「誰にも自分を明け渡さないこと」言われなければキモだとわからないままだったのは、わたしがちゃんと自分自身を守れているからかな。昔は自分が自分のことを一番大嫌いだったけれど、今はそうでもないから乗り越えなくちゃいけないものをきっとちゃんと乗り越えられたのだと思う。
小説を書くことで届けたい人に言葉が届けばいいとおもってると作中主人公に言わせてることと、作中作家である主人公に自炊行為をさせてるあたりが印象的でした。わたしも本を裁断することには躊躇するから。たぶん。