茶の間でおま。

本とかテレビとかすきなものたち。

川村元気「億男」(再)(35)

というわけで文庫版を読んだんですけど、高橋一生くんの解説がついてるなんて知らんかったーー!もちろん高橋一生くんのカバーのやつ買いました。うへへ。

映画を観てよくわかんなかったのが九十九とその仲間たちとの馴れ初めだったんだけど、それがまさかの求人広告に応募してきた早い者順、だったとは。人を信じてみようとおもった、というその動機。この「信じる」というのが全編通してのキーワードだったんだなってよくわかる。一万円札はただの紙切れなのに、そこに一万円の価値があるとお互いが信用するからこそ通用するもの。三億円を持って行方をくらました九十九は、会社を売却するという問題が起きた時にも行方をくらまして、そして彼らの信用をはかった結果、裏切られたことをトラウマとしていて、だからこそ一男を試したのだとわかる。ためされたほうはたまったもんじゃないよねw人を信じることにすると決めた九十九は、どこに旅立ったのだろう。

そして「万佐子の欲」というものが原作では詳しく描かれていて、すきなものも心からほしいとおもうものもない、そんな彼女がほしいとおもったのが一男だった。そして娘が生まれた。欲がないということがどういうことであるかを知っている彼女にとって、娘のバレエがしたいという「欲」はとてもたいせつなものだった。彼女が一男との別れを選んだのは、彼がその「欲」を失ってしまったから。お金が一男から奪っていったたいせつなもの、それは「欲」だった。「もしあなたが本当に望んでいるなら、お金がなくても私たちはやり直せたはず。そうならなかったのは、根本的には私たちを失ってもいいと思っているからよ」という言葉が刺さる。一男が出会うのは十和子→百瀬→千住と映画とは逆の順番で、十和子は三億円が戻ってきたら何に使うのかと一男に尋ねてそして借金を返してそれから家族を取り戻すと答えた一男に対してその可能性はないと言う。「あなたは何を失ったのか、いまだに分かっていないから」それは信用だとかそういうものだとおもったけど、万佐子は「欲」だと言うのだ。なるほど。

その十和子の隠し持つ十二億(原作では十二億だった)を、彼女の夫は知っていた。映画には出てこなかった彼の存在。誰にも知られずひっそりと十二億を抱くことによって十和子の安息がもたらされていることを知っている彼は、知らないふりをしてそれを守ろうとしている。それが幸せなことなのかと一男は問うが、その答えは誰にもわからない。お金では買えないもの。きっとお金で愛もひとのこころも買えるけど、それでもお金で買えない愛とかひとのこころを探し続けるのだと。

出てこなかった十和子の夫の代わりに出てきたのがあきらちゃんだったけど、その改変にどんな意味があるのかはちょっとよくわかんなかった。