茶の間でおま。

本とかテレビとか宝塚とか。

「ボクらの時代」佐藤健×高橋一生×川村元気

映画の話聞けるのかなーーっておもてたのにろくに映画の話をしないまま開始6分で映画の話はこれくらいにして本題に、って番組作ってる人から渡されたのであろう資料を取り出すたけるんめちゃめちゃおもしろすぎたけど真面目すぎておもしろかったですwwwビックリしましたwwwこれ映画の告知じゃないのwww潔すぎwwwwwww

昔だったら俳優の神秘性って(いうものが存在することを)言っててよかったとおもうけど、これだけ情報が発達してきてしまうと隠しようがないから諦めるしかない、逆に実験するほうにいってる、どう見られるかとか楽しんでる感じという言葉に震えました。わたしたち試されてる・・・!高橋一生くんに観察されてるモルモットなんですねわかります、ええ、その期待に応えられるようファンとしてどうあるべきかわたしも居住まいを正しますね・・・!こういうこと言うと喜ぶんだ、とか、こういうものを見せるとガッカリされるんだ、って彼の一挙一投足に一喜一憂するわたしたちを彼はどこかおもしろがってフーーンって眺めてるんですね・・・!これが震えられずにいますか。なんという、なんという、なんという恐ろしいひと・・・!たぶん、きっと、彼をめぐる環境の変化とかいろんな雑音とかそういうのにほとほとうんざりしてるんだろうなって。なんという皮肉。これはわりとけっこうショックでしたね・・・うん・・・そうだよね・・・うんざりだよね・・・やっぱりすみれコードってだいじなんですよ!!!!!(とつぜん

もうそういう時代じゃないっていうのはわかるし、わたしだってべつに知りたくなかったこととかも知ってしまってなんだかナーっておもうこともあるし、それはおたがいさまじゃん???このお互い(おたがい?)すっぱだかにされちゃう時代において、なにも知らずに無垢でいられることは果てしなく困難なことになってしまってることに、いささか憂うよね。わたしは憂う。距離感のもんだいかな。

たけるんが本音を引き出そうとして懸命な姿に胸打たれたんだけど、それをさらりとかわす余裕がほかのふたりにみられたのはやっぱり年の功かな。不器用なのはよくわかった。見た目のメジャーさと中身のマイナーさのコントラストがたけるんのおもしろさだっていう川村さんの言葉がひどくしっくりきた。天才か。

子役時代の話で、こどもだったからだから自分の人生と役の人生があいまいで「なんの気なしに」あいまいだった、つまりとても無意識にお芝居をしていたのだと話すのが興味深かった。自分の人生というものを自覚していない時にお芝居をするっていうのはそういうことなのかって。役を演じるのにエネルギーがいらない、というのは人生経験を積んでない人間としてまだ歴史の浅い人間だからこその言葉。なるほど。役にジャンプ、とは彼の口からよく聞くフレーズ。どんな台本をもらっても、役に対して恐怖する感覚がない、その恐怖回路がないって言われてたのは、きっと一種のサイコパスなんじゃないかなって。*1麻痺してるんじゃなくて、そういう感覚がない。なるほどそれが子役上がりの役者さんというものなのか。*2

あー、棒読みってよく言われたよなーー、それがすきなひとにはたまらんわけだけど、そうじゃないひとにはただの「棒読み」でそれだけで終わってしまうんだよね。もったいないよね。石田卓也くんもそうだった。あえてはずす(というか、わかりやすいお芝居をしない)ことに良さを見いだせないのはもったいないなとおもうし、それを楽しめるのは贅沢なことだなっておもう。

成功した後の人生をどう生きればいいのかわからない的な言葉もすこしショックだった。どこにゴールを設定すればいいのかわからないというのは役者という仕事において宿命みたいなものなんだろうか。誰に認められたらゴールになるんだろう。そこに向かうためのモチベーションをどう保つのか。好奇心はすべてに勝る、という言葉に、彼が多趣味でいろんな事柄に興味を持っている(持とうとしている)のはそういうことなのかなってその過酷さに目眩がしました。まさに生き様を見せてもらってる気がする。インプットするからこそアウトプットできるんだなって。

*1:もちろん反社会的な意味ではなく。

*2:この子役上がりって言葉はいやだね。

川村元気「億男」(再)(35)

というわけで文庫版を読んだんですけど、高橋一生くんの解説がついてるなんて知らんかったーー!もちろん高橋一生くんのカバーのやつ買いました。うへへ。

映画を観てよくわかんなかったのが九十九とその仲間たちとの馴れ初めだったんだけど、それがまさかの求人広告に応募してきた早い者順、だったとは。人を信じてみようとおもった、というその動機。この「信じる」というのが全編通してのキーワードだったんだなってよくわかる。一万円札はただの紙切れなのに、そこに一万円の価値があるとお互いが信用するからこそ通用するもの。三億円を持って行方をくらました九十九は、会社を売却するという問題が起きた時にも行方をくらまして、そして彼らの信用をはかった結果、裏切られたことをトラウマとしていて、だからこそ一男を試したのだとわかる。ためされたほうはたまったもんじゃないよねw人を信じることにすると決めた九十九は、どこに旅立ったのだろう。

そして「万佐子の欲」というものが原作では詳しく描かれていて、すきなものも心からほしいとおもうものもない、そんな彼女がほしいとおもったのが一男だった。そして娘が生まれた。欲がないということがどういうことであるかを知っている彼女にとって、娘のバレエがしたいという「欲」はとてもたいせつなものだった。彼女が一男との別れを選んだのは、彼がその「欲」を失ってしまったから。お金が一男から奪っていったたいせつなもの、それは「欲」だった。「もしあなたが本当に望んでいるなら、お金がなくても私たちはやり直せたはず。そうならなかったのは、根本的には私たちを失ってもいいと思っているからよ」という言葉が刺さる。一男が出会うのは十和子→百瀬→千住と映画とは逆の順番で、十和子は三億円が戻ってきたら何に使うのかと一男に尋ねてそして借金を返してそれから家族を取り戻すと答えた一男に対してその可能性はないと言う。「あなたは何を失ったのか、いまだに分かっていないから」それは信用だとかそういうものだとおもったけど、万佐子は「欲」だと言うのだ。なるほど。

その十和子の隠し持つ十二億(原作では十二億だった)を、彼女の夫は知っていた。映画には出てこなかった彼の存在。誰にも知られずひっそりと十二億を抱くことによって十和子の安息がもたらされていることを知っている彼は、知らないふりをしてそれを守ろうとしている。それが幸せなことなのかと一男は問うが、その答えは誰にもわからない。お金では買えないもの。きっとお金で愛もひとのこころも買えるけど、それでもお金で買えない愛とかひとのこころを探し続けるのだと。

出てこなかった十和子の夫の代わりに出てきたのがあきらちゃんだったけど、その改変にどんな意味があるのかはちょっとよくわかんなかった。

「億男」

観てきましたー。

キャストもロケもお金がかかってるぅ!っていうのが感想です。

大学時代の落研映像の中の高橋一生くんがとてもよかった!高座に上がって、メガネを置いて、さて、という佇まいが、嘘みたいに若かった。新歓コンパでゲロってしまう姿もいつぞやの吹奏楽部部長を思い出したし、やっぱり永遠の高校生だよなぁーってひさしぶりにおもったよ。*1*2許容できないといえばあの濡れワカメみたいな髪型なんだけど、誰があれにOK出したのわたしは許可した覚えないわよ責任者はどこか!!って立ち上がりそうになりました。わざとに寝ないで荒れたお肌にしたっていうエピソード*3が興味深いけど、クランクインのシーンだったという砂漠の落語場面ではななるほどワカメとはまるで別人でしたね。*4落語の場面はとても楽しみにしてたので、ほんのちょっとしかなくてこれだけかよ!!!ってまた立ち上がりそうになりました。もったいない。まるまる一席ちゃんと見たいです。なるほど芝浜。ぐうたら旦那が大金を拾ったことを妻によって夢だってことにされて、それで真面目に働くようになってなんとか生活を持ち直したところに実はあれは夢じゃなかったんだよ、ごめんよ、さあたんとお酒をお呑み、って言われて、でもこれも夢になっちゃいけねえからやっぱり呑むのはよそうってなるお話。お金の意味とは。ただの紙切れなんだから、って紙幣を破くシーンが印象に残ってるけど、わたしにはできない、きっとお金に取りつかれてるしお金に支配されてる。でももし宝くじ当たったらぜったいいの一番で住宅ローン返すからだから一男はなんで九十九に相談する前に借金返さんかったん???ばかなの?????文藝春秋での川村さんとのインタビューの中で、一番かわいそうなのは十和子だって言われてたけど、わたしにはそうは見えなかった。お金に囚われない人と結婚してそれで満たされてるように見えた。それはお守りのように。いつでも使えるっていう安心感。

印象的だったのは、一男とその家族のエピソードで、借金さえなければ、お金さえあれば、そうすれば問題はすべて解決するし、今は離れてる家族ともまた一緒に暮らすことができると信じてたけど、でもお金があっても離れた家族の心は戻らなかった。問題はお金じゃなかったのだ。娘がやりたいと言ったバレエを、お月謝が一万二千円、発表会に十五万円かかるそのバレエを、お金がないからやめさせたかった一男と、どんなに貧乏でもそれだけは守りたかった妻。お金がなくてもだいじにしなくちゃいけないものは守らなくちゃいけないんだよ。お金がないときに一番に切り捨てるものがなんであるのか、それでわかってしまうことによってこの人とはもう家族ではいられないときづいてしまった妻のきもちが、痛いほどにわかって切なかった。それは価値観の違いなんていう言葉にすると簡単すぎるけど、譲れないものがなんであるのかお互い共有できないと家族でいることは難しいかもね。大金を手に入れた一男が初めて買ったのは、娘がほしそうにしていた、でもほしいとは言わなかった自転車だった。それを見て笑顔を見せる彼女の姿を見てると、なんとか幸せな未来が訪れますようにと祈らずにはいられなかったです。お金とはなにかという哲学的な問いとは別に、再生の物語でもあったのかな。

 

映画『億男』佐藤健×高橋一生、『るろ剣』大友啓史監督による“お金”を巡るエンターテインメント - 写真15

映画『億男』佐藤健×高橋一生、『るろ剣』大友啓史監督による“お金”を巡るエンターテインメント - 写真16

ロッコの風景はとても素敵だったけど、九十九が実は自分が億万長者であることを明かして卒業を待たずに起業することを告白する場面でそれを受けた一男がショックを受けてなんだよって少し拗ねたふうだったのは、きっと彼は少なからず九十九の事を下に見てたんだろうなっておもった。なんだよ喋れるんじゃん、なんだよ金持ちなんじゃん、ちょう節約して貧乏旅行セッティングした俺バカみたいじゃん。ちょっと「僕らは奇跡でできている」のうさぎとかめをおもいだしたよね。俺は変わらない。変わらないよ。

 

 

バレエのエピソードで思い出したのは徳永えりちゃんの関電CM。あれ見たらいつも泣く。このCM、父親が出てこないのがとても気になる。

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*1:さんじゅうななさい☆

*2:それにしても排泄物NGなわたしには大画面grつらかった・・・冒頭のハイヒールにシャンパン入れて呑むシーンもだめだった・・・許容できないものがふえていくのはつらいことだね・・・

*3:文藝春秋

*4:わたしも砂漠でラクダに乗りたい。前に鳥取砂丘に行ったときは絶賛大雪でラクダの姿はなかった・・・むねんであった・・・