茶の間でおま。

本とかテレビとかすきなものたち。

「兎、波を走る」NODA・MAP第26回公演(新歌舞伎座)

露伴先生にとても心を動かされたので勢いで舞台のチケット取りました。舞プロさんが告知してくれた高橋一生くん先行枠で取ったチケットは前から5列目のセンターブロックで、舞台が近くてお芝居を間近で見られたのほんとうにうれしかったです。ただ、舞台が近いと俯瞰して見られないのが難点で、上から見るとまたぜんぜん違った風景が見られるんだろうなーと思わせてくれる魅力的な舞台装置の数々。今回も八百屋舞台だったなんて、ぜんっぜんわかんなかった。まじ??一番印象的だったのは、開閉されることによって斜めの正方形が大きくなったり小さくなったり完全に閉じられてなくなったりする壁。暗闇に浮かぶ正方形が大きさを変えていく様に視線を奪われた。

開演前に読んだパンフレットの中で高橋一生くんが「フェイクスピア」と同様に非常にセンシティブなモチーフを扱っていて、野田さんが「忘れられることに楔を打ちたい」とおっしゃっていると言ってるのを見て、お、ネタバレか??と身構えてそれ以上は読まなかったんだけど、なるほど、「フェイクスピア」では日航機墜落事故という非常にセンシティブなモチーフが扱われていた、さて今回は。という視点でずっと見てたのがノイズといえばノイズだったかもしれない。そしてそのノイズに混ざるのがイケ散らかしてた高橋一生くんです。いや、めちゃくちゃイケめてたね...まだなにものかわからない存在であったウサギやピーターパンの彼と、効率的に拉致する方法を編み出した左顔面にチックを表出させる彼と、名前を明かし、罪を告白し、そして消えていく彼と、いろんな姿にさすがの高橋一生くんやで、と何目線なのかわからない*1わたくしを懺悔しつつもやっぱりビジュ爆発してたよねという感想。どうか高橋一生くんが健やかに幸せでありますようにと何度も祈った。

チェーホフや「桜の園」も言葉は知ってるけど中身は知らないし、そっか、「かもめ」はチェーホフだったか。*2出てくる座り込み運動に、これか?これがそうなのか??とおもうも何か覚えておかなければならないような事件ってあったっけ?と己の無知に打ちのめされる。ドヤ顔のハイジャックはよど号だなとわかる。そこで浮かび上がる北朝鮮という国のこと。「もう、そうするしかない国」が、かの国であるということ。帰りたいと願うアリスが発する「たすけて」という悲痛な叫びに胸が張り裂けそうになる。多部未華子ちゃんだいすき。ああ、そういうことか。ネバーランドは大人になりたくないこどもたちが自ら望んで来た国ではない。ピーターパンは救世主ではなく拉致工作員だった。「もう、そうするしかない国」に10年もいればこどもだって生まれるでしょ、というアリスのセリフ。こども。母親。ねえ、父親は?

平熱38度の国境線を兎が越えようとするとき、アリスはわたしも連れてってと懇願する。でも兎はそれを受け入れなかった。そして兎は彼女の母親に会って、彼女の物語を紡いだ。ようやく遠くのこだまが、母親のもとに届いた。声は、上げ続けなければならない。物語は、語り続けなければならない。一度入ったら抜け出せない麻袋の中から響くアリスの「お母さん」の声。何度も何度も何度も何度も繰り返される「お母さん」の声。嗚咽で苦しい。楔は、確かに、打たれた。打たれたのだ。

カーテンコールで笑顔を見せないキャスト陣に、わたしが受け取ったものをちゃんとわかってもらえてるかなと不安になった。わたしの中にも確かに楔は打たれたのだとつたわっていればいいな。

わからないことだらけの野田作品だけど、最後の「遊びの園」にかけられた鍵はいったいなんだったんだろう。

*1:推しを赤ちゃん扱いするオタクを嫌悪するきもちはわたしにもわかる、キモいよな。

*2:「かもめ」はチェーホフによると喜劇として書かれたものらしいので、その事実がもううそやんwwwwwwwwwwってわらってしまうのおもしろい。どこでそうなった。