茶の間でおま。

本とかテレビとかすきなものたち。

「国宝」

吉沢亮という役者の素晴らしさと美しさを思い知らされた映画だった。

おそらく原作では細かく描写されてるであろう事柄が取捨選択の上で大いなる余白となっていたのは見事でした。高畑充希ちゃんが横浜流星くんの手を取る道行の場面では、舞台で奮闘する姿を側できっと一番見ててほしかったであろう人間に(高畑充希ちゃんのドセンのチケット)見てもらえなかったことが哀しすぎて、一人残される喜久雄がほんとうにかわいそうだった。代役が喜久雄に決まった時に、喜久雄のことを泥棒呼ばわりした横浜流星くんは高畑充希ちゃんを盗んでしまおうと彼女の家を訪れたのだとおもったけどそうではなくて、むしろ高畑充希ちゃんのほうから彼の手を取ったことはショックだったな。でも甘いピロートークの中で結婚しようと言われてそれを受けなかったのがすでに答えだったのだとはおもう。彼女にとって喜久雄の存在とは。きっとそれも原作を読めばもっと詳しく彼女のきもちもわかるんだろうけど、そこをこうやって悶々と思い悩むこともこの映画の醍醐味なのだとおもう。親友と逃げた恋人と再会した時にも、彼らはなにも言い訳をしなかった、その潔さが心地よかった。誰も言い訳をしない。そういう映画だった。

初めての二人藤娘。二人道成寺。代役のお初。再会した後の二人道成寺曽根崎心中。そして最後の鷺娘。どれも映像が美しく見入ってしまったし、舞台に立つ緊張感も伝わってきて、終演後には映画内の観客と一緒に拍手したくなった。特に代役の時の、薄暗い鏡前で紅筆を握る喜久雄の震えは見てる側にも苦しいほどに伝わってきて、そこへやってきた俊介がほほに伝わる涙を拭いながら目じりに紅を差す姿がとてもよかった。血を欲す喜久雄の苦しみに対して、あんなにも穏やかにほほえむ俊介の姿に喜久雄と同じようにわたしも救われた。ありがとう、俊介。なのに俊介は耐えきれなかった。わたしは俊介にも春江にもずっと喜久雄のそばにいてほしかったし、みんなに愛される喜久雄であってほしかったし、しあわせに笑う喜久雄が見たかった。悪魔と契約はしたけど、彼にはもう歌舞伎しかないのだけど、すべてを失うという仕打ちを受けてなお、俊介との友情を手放さなかった喜久雄の姿に、何度も涙が止まりませんでした。どうしても喜久雄に肩入れしてしまって、彼の孤独に何度も身を焦がし、今映画を振り返ってみても喜久雄の笑顔がおもいだせない。彼は笑っていたことがあったかな。笑顔を思い出せないことがかなしい。

あんな風には生きられねえな。竹野のセリフに泣かされる。

彰子に漏らしていた彼の「覚悟」とは。

対照的な喜久雄と俊介ですが、中の人もまた役とは逆であるのがインタビューなどからうかがえておもしろい。横浜流星くんが俊介のことを「重心が高い」と評していて、どうにも彼のことを許容できないようであったのがおもしろかったです。中の人が天才肌と努力家というのは役の通りなのかもしれない。知らんけど。

京都で観るべき映画として迷った映画ですが、実際は大阪の歌舞伎一家の話なので無理して京都で観なくてよかったかな。バンバン出てくる南座はよかった。今宮神社の参道は今年中に行きたい。

あと関西弁に違和感がなさすぎて*1関西弁パトローラーとしても完璧であったと認めざるをえません。特に吉沢亮横浜流星の二人のフランクなごく自然な掛け合いがどれもこれも絶品でした。覚えてるのは、二日酔いの俊介と二人藤娘を踊った後に鏡前で反省会してあそこタイミング合うてなかったで、さらっておくか、おう、ってちょっとおさらいして、やれんじゃん出来んじゃんだいじょうぶじゃん、って一回で終わらせようとする俊介と、いやいやもう一回やんで、と促す喜久雄の場面。芝居をしてるぞ、という気負いのないセリフたちがどれもこれも心地よかった、おみごとです。

最後に。水間ロンさまお慕い申し上げてます。

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日曜日に大河「べらぼう」で重三な横浜流星くんをみるとやっぱりすてきな役者だなあと想いが募って、映画「国宝」ではあんまりにも喜久雄に肩入れしすぎた、血のつながりに、重圧に、押しつぶされそうになった俊介のきもちを少しも慮れなかったことを反省した。父親と同じ糖尿病に苦しんだこともまた「血」の祝福であり呪いであったのだとわかるから。心のふるえるよき作品に出会えたことに感謝。

*1:強いて言えば寺島しのぶの序盤の関西弁がちょっと引っかかったくらい。