茶の間でおま。

本とかテレビとかすきなものたち。

川村壱馬ファーストフォトエッセイ「SINCERE」

わたしのかずまのファーストフォトエッセイ買いましたー。

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写真集ではなくフォトエッセイなので、お写真がA5判と小さいのが不満ですが、219ページとボリューミーでお写真たっぷり!たっぷり堪能できました。ゆるす。

発売に際していろんな媒体でめちゃくちゃたくさん露出があったので、いろんなエピソードや裏話をあんまり把握できてないんだけど、わたしが一番衝撃を受けたのは、撮影の途中で髪を切ったということでした。ページをめくるごとにまるで別人みたいだっておもってもらいたいってことを言っていて、髪を切ったのもそのためなんだろうし、その髪を切るショットがはさまれているのもわりと衝撃だった。髪を切るために伸ばしていたのかな。撮影時期は2019年秋ごろということで、映像作品でいうと貴族ドラマのあたりかな。あの竜ちゃんはたしかに髪が長かった。そして髪を切って帰国したかずまはザワのロードショーを迎えるんですよね。わたしのファーストかずまがふじおだったせいで、どうしてもふじおがだいすきで、かずまの中のふじおを探してしまうんだけど、このフォトエッセイの中の写真でも、髪を切ったあとのかずまがふじおにしか見えなくて、特に最後の岩山のてっぺんに君臨する姿はふじおでしかなくて、でもそれもザワのプロモーションが始まる頃なのだと思えば納得。むしろこれは一度抜けたふじおという役にもう一度入っていく過程だったんじゃないかなとすら(でんぱ

すきなショットは、目次の次の見開きページのまだ髪の長いかずまがカラフルなカジュアルファッションを身にまとってるやつ(かわいい)と、ベッドシーン()の次のページの裸の後ろ姿の上半身を横顔で見せてくれてるやつ(とてもよいあんばいのからだです)と、中頃の髪を切るあたりのモノクロの見開きで上を見てのどのあたりがあらわになってるやつ(さわりたくなるナンバーワンです)と、髪をくるくるに巻いて臙脂のベストを着たボーイさんみたいなお衣装の左首筋のほくろが見えてるやつです。ちなみにこのほくろは黒スーツでピアノを弾いてる時のやつでも確認できます。どっちかっていうとスッと通った鼻筋ではないどこかあどけなさの残る横顔のシルエットがだいすきです。拗ねたこどもみたいにくちびるが尖ってるの、さわりたくなるよね(さわりたくなるよね?)でも、おみさまみたいなヘアバンド(イメージ)してFENDIでキメてるのもすきだし、キャッチボールしてるのもすきだし、あとこれはDVD見てからなんだけど、初日の海辺で髪を無造作にハーフアップにまとめてたことにときめいて、髪をくくってるかずまというのがめちゃくちゃだいこうぶつだってわかった。髪を切ってシャワーをあびるかずまもいいし、あの肉感的なところがたまらなく魅力的だった。赤色のファーの入ったコートを着てロリポップ舐めて髪をくるくるに巻いたかずまは、みんな言うてるけど道明寺司だよねw派手なシャツを着てロスの夜の街に佇むめがねをかけたふじお(ちがいます)もピアノの前に座るかずまもタバコの煙をふかすかずまもふじおみたいなかずまが世界の覇者みたいに君臨するラストショットもみんなみんなとってもいいお写真でした。

かずまが野球をする子だと知ったときにわたしは大いに喜んだんだけど、でもわたしの野球とは世界線が違うみたいで、そうか彼はエースになりたかったのか、それは確かに野球ではないかな、とお互いの齟齬を確認しあった。野球のすきな父親の影響で小さい時から野球選手になりたいとおもっていて、野球が盛んな土地柄であったにも関わらずなぜ野球チームに入らなかったのか。そういった発想がなかったと彼はいうけど、それを勧めてくれる大人はいなかったのか。そんな彼が中学校でそろそろ本格的に野球をやろうかとおもったところで、それはあんまりにも遅すぎるのだ。その齟齬ゆえに彼は退部してしまう。その短絡的な結末に、でしょうね、とおもいつつ、実は、けっこう、かなり、ガッカリしたのだ。彼がもっと早い段階でいわゆる「野球」というものに馴染んでいて、そこでその才能を遺憾なく発揮していたらば、そしたらまた違った世界になっていたのかもしれない。今わたしはこないだスポーツのバラエティ番組に出ていた三代目のエリーさんを思い浮かべてる。エリーさんはわたしと同じ世界線で野球をやっていて、プロ注目の選手だったと知ってとても感動したのだ。これが彼だったら。そんなことを一瞬夢想しかけて、やめた。だって違うもの。でも彼は芸能人になって、当時叶えることが出来なかったプロ野球のマウンドに立つという夢を、始球式で叶えてしまう。彼が唱える願ったことは叶えることが出来るという神通力の証明に使われてしまっていることに、すこし、ううん、だいぶ、ガッカリしたのだ。

巻末のプロフィール画像がグローブはめてるかずまなのを見て、野球というコンテンツが彼の人生を彩るアイテムになっているのなら、それはそれでいいのかなとおもってしまうわたしはだいぶ甘い。

 

エッセイの部分で、わたしが一番印象的だったのは、「いつどんな時も裏表なく川村壱馬であること」を大事にしているという言葉。自分の思い描く川村壱馬がするだろう行動をして、自分の思い描く川村壱馬が言うであろう言葉を話す。そうすることが自分の幸せだから。自分のことがだいすきだと言える彼がまぶしいし、でも、さて、これはほんとうに彼の言葉なんだろうか、彼が考えるさいきょうのかわむらかずまの姿を見せられてるだけなんじゃないだろうかとわたしのなかでは終わらない葛藤が渦巻くのだ。嘘はついてないだろうけど、聞かれなかったから言わなかったというような言葉がたくさんあるんじゃないかなとか。彼がくれるものすべてを、どうしても手放しで受け取れないことに忸怩たる思いを抱くけど、それは恐らく彼にとっても五分五分の勝算でしかなく、なるほど大きな勝負に出たなと、その大胆さには唸らされた。